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エニアグラムとマンダラ


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平面から立体へ A

ブータンではインド仏教の宇宙観(世界観)が発展していった独自の様子が克明に残されています。ブータン北側に覆い尽くすヒマラヤ山脈という壁と、最近まで続いた鎖国政策のために外界との接触を絶っていたことが、インド仏教が他の文化の影響をあまり受けずにブータンで発達していった理由の一つでしょう。

平面から立体へ@で同じような手法で作られたのではないかという図があると書きました。それがブータンの「天球図」です。
ブータンの「天球図」はブータンで数多く描かれている壁画の中でも独自なものと言われています。時間の概念を取入れカーラチャクラ(時輪)の世界、色の世界観も表現しています。またイスラムの幾何学の影響を受けているのではないかという説もあります。


宇宙観を表すブータンの壁画を年代で追って見ると次のようになります。

 「六道輪廻図」   
 「宇宙総覧図」    5世紀頃
 「クンサン・コルロ」
 「宇宙総覧図」    10世紀
 「天球図」      10世紀後半             六道輪廻図・天球図クンサンコルロ宇宙総覧図

いずれも仏教における世界観(須弥山世界)を表したものです。壁画の描き方が次第に象徴的になっていきます。「宇宙総覧図(10世紀)」の須弥山は、さらに大きく逆三角形描かれ、地上界、天空も単純化され、天空は七本の色彩の線で表現されている。





イスラムの幾何学の影響を受けたのであろうと言われている天球図には、須弥山世界の表現に時間の概念が取り入れられ、さらに象徴的に表現されている。今まで三角形で描かれていた須弥山は「円」で描かれ、その中心部は「陰陽図」の原点のような(右図)風貌を見せている。


カーラチャクラの世界観、その中の須弥山世界、さらにマンダラの世界。このとてつもなく広大な世界観が作られてきた歴史はほとんど神秘のベールで包まれています。
マンダラはその土地の自然、文化を取り入れながら発展してきました。
ビアントンガ遺跡のマンダラにはヤシの木らしきものが描かれています。


日本最古の現存するマンダラは、京都高雄の神護寺蔵の両界曼荼羅(国宝)があります。天長年間(824〜834)
マンダラは日本に伝わってから、日本文化に大きな影響を与ながら現在に至っています。マンダラが日本でさらに抽象化されたものが家紋の中にあります。「曜の紋」がそれです。曜紋にはいろいろ種類がありますが、いずれもマンダラを抽象化したものです。【参考:曜の紋】

もしかしたらエニアグラム図もマンダラを抽象化したものかもしれない、と考えるのも決して突飛なことではないような気がします。
○○○○○○○○イメージ


【須弥山】
仏教の世界観で世界の中心にそびえ立つという高山。海中にあり、高さは八万由旬(ユジュン)頂上は帝釈天が住む利天で中腹には四天王が住む。周囲は九山八海に囲まれその海中に闇浮提などの4州がある。日月星辰は須弥山の周囲を回転している。
【曼陀羅】
サンスクリット語で「manda」と「la」に別れる。「manda」は「中心」の意味。「ra」は「得る」という意味。形容詞として使用する場合「まるい」という意味を持っている。


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