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エニアグラムとマンダラ


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エニアグラムからマンダラへenneagram&mandara

・エニアグラムがエニアグラムの発展の妨げ?

エニアグラムはギリシア語のエニア(9)とグラム(図)が複合された言葉であるということが、現在のエニアグラムの発展の大きな妨げになっているのではないのでしょうか。ほとんどの人々が「9」と「図」にこだわり、それらを包容している「円」については無関心といってもいいでしょう。「九つの数字」においても「ポイント」としてのとらえ方がほとんどであり、たとえ発展させても平面上を多少面積を広げての徘徊ではないのでしょうか。
エニアグラムは円、それも4次元の円の象徴と考えなければ、エニアグラムの神秘には到底近寄ることは出来ないでしょう。

仏教の世界観を表現したものにマンダラ(曼陀羅)があります。「manda」は「中心」の意味。「ra」は「得る」という意味。インドではマンダラ(mandara)を、形容詞として使用する場合「まるい」という意味を持っています。

『マンダラは、もともと球体の世界を輪切りにして、平面に余すところなく描こうとしたものなのです。マンダラは平面図であるが、もともと神仏の世界は平面世界(2次元)ではない』との指摘もあるように、平面上でのマンダラへの考察は誤解が生じる可能性があります。
エニアグラム図(性格分類を含む)においても当然平面ではない世界を便宜的に平面図で考察しているわけで、マンダラへの考察と同じように、平面的なエニアグラム図への考察は大きな誤解が生じるはずです。

マンダラは無限の時間軸を含む球体。その中に存在する多種多様の仏、この世界のあらゆる営み、これらを平面に表現したのは当時の匠の技といえます。世界地図はみかんの皮を平面に押し広げるように表現していますが、マンダラはみかんを真っ二つに割り、中心部から周囲にみかんの房を配置するように球体(空間)の内面まで表現したのです。立体的な仏界の世界を美術的な要素も含みながら表現しているマンダラにはただ感嘆するのみです。

マンダラには「金剛界曼陀羅」と「胎蔵界」マンダラと二つのマンダラがあります。金剛界曼陀羅は仏の教え、救いを表現し、胎蔵界曼陀羅は内なる心を表現していると言われています。この二つの世界はマンダラ世界を輪切りにして表現した場合の「切り口の違い」と考えられます。



「円」はとても重要な意味を持ちます。「円」は昔から無限の象徴として扱われてきました。終わりもなければ始まりも無い。永遠でもあり、平等の象徴でもある。マンダラは二次元として表現しているがその本質は、時間をも含めた宇宙観(世界観)の表現である。それどころかその内面にまで切り込んでいるのです。

「天球図(ブータンの壁画)」では円の持つ意味合いが巧みに表現され、時空を経線のように表現しています。時間と空間の関係を球体の表面上に置き、それを平面に巧みに展開しています。

私達は、エニアグラムの神秘に触れようとしても、この経線(エニアグラム図)をたどるだけで、無限の空間と時間を含んだコアを見ようとはしません。我々はこれらの経線が指し示すコアの部分、または経線の広がる無限の空間──エニアグラム図が描かれている線と線の間の空間──へ目を向けなければならないのです。地図上の記号を空気とともに実体として感じ取るように、空間と時間を包容したエニアグラム図を感じ取ることがエニアグラムの未知の領域に一歩足を踏み入れることになるのではないでしょうか。

「生命のもっとも古い過去の記憶と、最高度の直感の力で作られた宇宙像がマンダラだ。(ユング)」 
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